南京の観光スポット
南京博物院
オープンは1933年で、中国で最も早い時期に開設された博物館のひとつである。現在中国には数え切れないほどの博物館があるが、「博物院」と名付けられているのは、北京の「故宮博物院」とここだけで、格の高さをうかがい知ることができる。特に書画の収蔵に関してはすばらしい。江蘇省あたりでは明、清時代に絹織物や塩の専売で大変な繁栄を築き、大パトロンの元に才能ある書画の作家が雲集をしたという経緯もあり、沈周、文徴明、唐寅、仇英、金陵八家、揚州八怪などの貴重な作品を多く揃えている。また、もう一つ南京博物院が異彩を放っているのは、いわゆる「南遷文物」といわれるものの存在である。 1933年、日中戦争の戦火を避けるために、北京の故宮から大量の貴重な収蔵品が南京博物館(当時は中央博物院)に運ばれてきた。その数、木箱で2万個と言われている。やがて、南京にも戦火は及び、文物は再び移送されることになった。多くは、四川省・重慶に運ばれた。戦争が終わり、文物はほぼ完全な形で南京に戻るが、その後の国共内戦の混乱の中で、三千箱が台北に運ばれ、七千箱が北京の故宮博物院に戻された。現在、台北の故宮博物院で展示されているのが、このときに運ばれたものである。残りの一万箱が南京博物院に残されたと言われており、これを「南遷文物」と言う。
南京 中山陵
孫文の陵墓。孫文は、中国革命の指導者。号は中山。広東省出身。清朝打倒のため、1894年興中会を組織。1905年、東京で中国革命同盟会を結成して、民族の独立(民族主義)、民主制の実現(民権主義)、地権平均・資本節制による経済的不平等の是正(民生主義)の三民主義を主唱した。1911年には、辛亥革命により、清朝が倒れ、南京で中華民国臨時政府が樹立。孫中山は臨時大統領に就任。1925年、「革命未だ成らず」の言葉を残し逝去。波瀾万丈の生涯であった。逝去したのは北京で、北京の中山公園でしばらく安置されたのち、1929年、当時の首都であった南京へ移された。緑に囲まれた陵園の奥に祭堂がある。青い瓦と白い壁は、国民党の党旗でもある青天白日をあらわしている。祭堂に至る階段は392段で、祭堂の奥に大理石の臥像があり、その下に孫文の遺体が安置されている。
南京 明孝陵
明の太祖・洪武帝(朱元璋)の陵墓。市の東の郊外、紫金山の南麓にある。参道には12対の石獣と4対の石人が並び、その先に直径400メートルの円形の墳墓がある。朱元璋は農民の子から成り上がり、南京に明を建てると、「中華の回復」を旗印に元を攻め、北京を占領し、元を北へ追いやった。さしもの強大さを誇った元も、歴史の舞台から消えてゆくことになる。
南京 中華門
明の時代に造られた南京城は周囲34キロに渡り、その正門が中華門である。特徴のある城門で、それ自体がひとつの城のようになっている。東西90メートル、南北128メートルの城によって防御された城門である。城の西は長江。東と北は紫金山。南京を巡る攻防は、常に、この中華門を挟んでの攻防であったという。




