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フフホトの観光スポット

大召

大召市内の玉泉区大召前街にあるチベット仏教の寺院。日本の寺院と違い色鮮やかなのが特徴である。大召は中国語で「無量寺」、モンゴル語では「伊克召」といい、大きな寺院という意味である。1567年から1572年にかけて、モンゴル族の曾長アルタン=ハンは、フフホト(旧城)と弘慈寺の造営を始め、寺は1580年に落成した。明代には「弘慈寺」と呼ばれていたが、清朝になって「無量寺」と改名されている。 寺院には、純銀で作った高さ2.5メートルの仏像が祭られているので、「銀仏寺」とも呼ばれている。 チベットの三世ダライラマは自ら大召の銀仏のために開眼式を行ったという。寺院には宗教関係の文化財が多く、そのうち銀仏、竜彫、壁画は、ほかに例を見ないものとされている。

席力図召

席力図召呼和浩特市の旧城の石頭巷にある明代に創建されたチベット仏教の寺院。席力図とは、モンゴル語で「法座」を表す言葉である。召は寺院。 ダライラマ四世は幼年時代にシッディ=カプチュから経典を学ぶともに、彼に守られてチベットに帰った。シッディ=カプチュはダライラマの法座についたことがあり、チベット語で法座や首席を「席力図」というので、チベットから戻ると席力図廟と改称したと伝える。清代初期から大規模な拡張工事を行い、徐々に現在のスケールとなった。
牌楼から本堂までが中軸線で、5つの院落からなる。本堂はチベット様式で、四面の壁に彩色の琉璃磚を使い、屋根に金銅製の宝瓶・法輪・飛竜・祥鹿を配し、赤い出入口や扉の彩色画とあいまって、目を奪わんばかりの絢燗さで、古典建築の傑作。 本堂の前に高さ約15メートルの色鮮やかなチベット式のラマ塔が建つ。内蒙古現存最大のラマ塔で、完璧に近い造形美を誇る。

王昭君陵墓

王昭君陵墓 市の南9キロの大黒河南岸にある。墓は高さ33メートル、敷地は5ヘクタールもある。
陵墓の近くには、王昭君に関係のある文物を展示する文物陳列室があり、墓前に董必武の「昭君墓に謁す」の詩碑が建つ。 王昭君は竟寧元年(前33年)に匈奴の呼韓邪単干が和親を求めて入朝すると、みずから匈奴への嫁入りを申し出て、のちに寧胡閼氏と呼ばれた。彼女が単于に嫁いだおかげで、漢と匈奴が60年も友好的に付き合うことができたといわれている。秋になると、周りの草木がみんな枯れてしまうが、昭君墓だけが依然として濃い緑色で覆われているので、「青墓」とも呼ばれている。

希喇穆仁草原

希喇穆仁草原希喇穆仁は、モンゴル語で「黄色い川」というい意味で、フフホト(呼和浩特)から北100キロのところにある。希喇穆仁草原は俗に「台河」と呼ばれており、希喇穆仁川の近くにある「普会寺」というチベット寺院からとった名前である。普会寺は、呼和浩特の席力図召6世活仏の避暑のための御所として、1769年に建てられたものである。その建物の装飾美は壮麗である。希喇穆仁草原は典型的な高原草原で、夏から秋にかけて、草は青々と伸び、花も草原一面に咲き乱れる。その景色は何ともいえず美しい。ここ数年来現地政府の投資により旅行施設が充実してきた。

呼和浩特博物館

呼和浩特博物館1957年に建てられた市の中心部に位置する内モンゴル最大の綜合博物館である。
メインホールの屋根の上には、疾走する白馬の像が建てられ、内蒙古自治区のシンボルとなっている。館内の収蔵物は非常に豊富で、常時一般公開されている。主に《内モンゴル文物陳列》、《内モンゴルの近代・現代文物展示》と《内モンゴルの民族民俗文化財陳列》からなっている。実際に出土された文物をとおして、内モンゴル地区の歴史や自然の姿と社会の発展を窺い知ることができる。国内外の観光客からも評判のよい博物館の一つである。

清真大寺

清真大寺イスラム教の寺院で、市内、古城の北門の外にある。清代の乾隆年間、イスラム族が大量に新疆から呼和浩特まで移住してきた時に建設された大規模なモスクである。寺院の正門は西に向って建てられ、その上にはアラブ語で寺院の名が刻まれており、様々なデザインの装飾がなされている。寺院建築は、主に聖殿、講堂、イスリム浴室などがある。933年に熱心なイスラム教信者の寄付により、境内に6角4階建ての塔が築かれた。その造形は簡潔で美しい。アラブ語で書かれた『コーラン経』は30冊収蔵されており、イスラム族にとって貴重な文献資料となっている。

万部華厳経塔

万部華厳経塔市の東郊外にあり、遼の時代の聖宗年間に建てられた塔で、またの名を白塔とも呼ばれている。代々修繕されてきた。八角7層・楼閣式の磚・木塔。基壇の上部は仰蓮弁に積み上げ、第一・二層の外壁に磚彫の釈迦・菩薩・四天王・力士の像をはめこむ。いずれも造形が優美で精彩に富み、流れるような曲線で、芸術性がかなり高い。 塔内にはらせん階段があり、頂上まで登ると山河の絶景を眺めることができる。第一層の内壁には金代の石碑を6枚はめこみ、各層に代々訪れた人々の題記を漢語を中心に契丹小字・女真字・ウイグル体モンゴル字・パスパ文字・古シリア字・古ペルシア字などで記されている。そのうち、1162年の漢語の題記がもっとも古い。金・元両代の題記の筆老らは中国の四方八方からやって来ており、当時よりこの地では、地域、民族を越え、往来が盛んであったことが偲ばれる。